1952-08-27 第14回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第1号
まず、海外同胞引揚に関する調査小委員に 庄司 一郎君 池見 茂隆君 小西 英雄君 滿尾 君亮君 玉置 信一君 玉置 實君 中山 マサ君 福田 喜東君 若林 義孝君 村瀬 宣親君 柳原 三郎君 受田 新吉君 高田 富之君 羽田野次郎君以上を指名いたします。
まず、海外同胞引揚に関する調査小委員に 庄司 一郎君 池見 茂隆君 小西 英雄君 滿尾 君亮君 玉置 信一君 玉置 實君 中山 マサ君 福田 喜東君 若林 義孝君 村瀬 宣親君 柳原 三郎君 受田 新吉君 高田 富之君 羽田野次郎君以上を指名いたします。
逢澤 寛君 青柳 一郎君 飯塚 定輔君 池見 茂隆君 稻田 直道君 川端 佳夫君 小平 久雄君 小西 英雄君 庄司 一郎君 高橋 等君 玉置 信一君 玉置 實君 中山 マサ君 福田 喜東君 松永 佛骨君 丸山 直友君 滿尾 君亮君 若林 義孝君
それでは 逢澤 寛君 池見 茂隆君 小西 英雄君 高橋 等君 若林 義孝君 坂口 主税君 受田 新吉君以上七名を理事に指名いたします。 —————————————
三浦寅之助君 三宅 則義君 水田三喜男君 水谷 昇君 滿尾 君亮君 南 好雄君 宮幡 靖君 宮原幸三郎君 村上 勇君 村上 清治君 守島 伍郎君 森 幸太郎君 柳澤 義男君 山口喜久一郎君 山口 好一君 山口六郎次君 山崎 猛君 山村新治郎君 山本 猛夫君 山本 久雄君 吉田吉太郎君 吉武 惠市君 若林 義孝
苫米地英俊君 内藤 隆君 西村 久之君 野村專太郎君 平野 三郎君 村上 勇君 柳澤 義男君 山本 猛夫君 山本 久雄君 三宅 正一君 委員外の出席者 引揚援護庁長官 木村忠二郎君 ————————————— 八月二十五日 委員逢澤寛君、池見茂隆君、小西英雄君、高橋 等君、若林義孝君
社会保障制度強化に関する請願(圓谷光衞君紹 介)(第三九七三号) 同(關内正一君紹介)(第四〇二七号) 島根県下にアフター・ケア施設確立に関する請 願(中崎敏君紹介)(第三九七四号) 遺族援護強化に関する請願外一件(吉川久衛君 紹介)(第三九九一号) 七月二十三日 優生保護法に基く受胎調節普及実施に関する請 願(上林山榮吉君紹介)(第四一九〇号) 同(青柳一郎君紹介)(第四一九一号) 同(若林義孝君紹介
昭和二十七年七月三十日(水曜日) 午後四時十二分開議 出席委員 委員長 竹尾 弌君 理事 甲木 保君 理事 若林 義孝君 理事 小林 信一君 青木 孝義君 柏原 義則君 坂田 道太君 圓谷 光衞君 長野 長廣君 平島 良一君 笹森 順造君 受田 新吉君 渡部 義通君 坂本 泰良君
若林義孝君。
この際若林義孝君より、連合国及び連合国民の著作権の特例に関する法律案に対しまして、附帯決議を付する動議が提出せられております。本動議の趣旨の弁明を求めます。若林義孝君。
昭和二十七年七月三十日(水曜日) 午前十一時十三分開議 出席委員 委員長 小平 久雄君 理事 逢澤 寛君 理事 池見 茂隆君 理事 高橋 等君 理事 若林 義孝君 理事 坂口 主税君 理事 受田 新吉君 青柳 一郎君 川端 佳夫君 庄司 一郎君 玉置 信一君 中山 マサ君 福田 喜東君 松永 佛骨君
三宅 則義君 水田三喜男君 水谷 昇君 南 好雄君 宮幡 靖君 武藤 嘉一君 村上 勇君 村上 清治君 守島 伍郎君 森 幸太郎君 森 曉君 八木 一郎君 柳津 義男君 山口 好一君 山口六郎次君 山崎 岩男君 山崎 猛君 山村新治郎君 山本 猛夫君 吉田岩太郎君 吉武 惠市君 龍野喜一郎君 若林 義孝
村上 勇君 村上 清治君 守島 伍郎君 森 幸太郎君 森 曉君 八木 一郎君 柳澤 義男君 山口喜久一郎君 山口 好一君 山口六郎次君 山崎 岩男君 山崎 猛君 山村新治郎君 山本 猛夫君 吉田吉太郎君 吉武 惠市君 龍野喜一郎君 若林 義孝
松本 善壽君 丸山 直友君 三浦寅之助君 三宅 則義君 水田三喜男君 水谷 昇君 滿尾 君亮君 宮幡 靖君 武藤 嘉一君 村上 勇君 守島 伍郎君 森 幸太郎君 森 曉君 八木 一郎君 柳澤 義男君 山口喜久一郎君 山口 好一君 山崎 猛君 山村 新治郎君 山本 猛夫君 吉武 恵市君 龍野喜一郎君 若林 義孝
川村 松助君 木村 守江君 石黒 忠篤君 高橋 道男君 堀越 儀郎君 山本 勇造君 荒木正三郎君 大隈 信幸君 矢嶋 三義君 岩間 正男君 衆議院議員 若林 義孝
○衆議院議員(若林義孝君) 御説御尤もなんであります。大要は今岩間委員にお答えしたのであります。それから御趣旨の通りの心持を持つておるのでありますが、財政当局なんかとの打合せその他の折衝のときに止むを得ずこういう線が出て来たのであります。御了承願いたいと思います。
○衆議院議員(若林義孝君) これは時間の節約もございましようし、限定いたしておきたい。
御承知の通り産業教育振興法は、新教育制度において従来比較的に閑却されて参りました中学校、殊に高等学校の産業教育を振興いたすために、これに要する施設及び設備の充実を図り、その他必要なる方策を講ずることを目的として、第十国会において制定されたものでありまするが、その後実施の結果にかんがみ、若干の点において改正を必要とするに至りましたため、今回衆議院議員若林義孝君ほか二十二名から、その一部を改正する法律案
○衆議院議員(若林義孝君) 提案者といたしましては、前回この産業教育法を提出いたしました時、それより以上強くその必要を感ずることには変りはないのであります。当時におきまして非常に御慎重を期して頂いたのでありまして、我々提案者としての不行届の個所がありとするならば、それを補つて頂く意味で御研究を願つておつたのであります。
梅原 眞隆君 理事 高田なほ子君 委員 石黒 忠篤君 高良 とみ君 山本 勇造君 荒木正三郎君 棚橋 小虎君 大隈 信幸君 矢嶋 三義君 岩間 正男君 衆議院議員 若林 義孝
○衆議院議員(若林義孝君) 御質疑になりましたお気持を我々は十分体しておるのでありますが、そういう意味におきまして、全般的な日本の教育施策というものは、他の施策に比較いたしまして、非常に低位にあることだけは事実であります。これは如何なる部門の差別なく、全部私は非常に低位にあると考えるのでありますが、無論この全体を高めて行くべきものだと思います。
以上の諸点のうち、先ず第一條の理想乃至目的と法案内容との著しい懸隔につきましては、提案者を代表して若林義孝議員から、本案は、その原案において相当豊富な内容を持つていたのであるが、諸般の情勢よりして本案のような体裁にまで修正圧縮することを余儀なくされたものであつて、その点は極めて遺憾であるが、併しこの内容を以てしても、将来の完全な義務教育国庫負担制度への橋頭堡としての使命は十分果し得るものと信じ、又それを
木村 守江君 黒川 武雄君 草葉 隆圓君 左藤 義詮君 堀越 儀郎君 山本 勇造君 荒木正三郎君 前之園喜一郎君 矢嶋 三義君 岩間 正男君 衆議院議員 若林 義孝
○衆議院議員(若林義孝君) 昨日も荒木委員にお答えをいたしたのでございますが、その点私たちとしては特別にどこに持つて行くべきかということは考えておりません。現行のまま大体府県でこれを取扱うべきものであると、こういうような原則でおるわけでございます。
○衆議院議員(若林義孝君) 私はその点妥当な道を進みさえするならば、さほど矛盾は出て来ない、こう考えております。
○衆議院議員(若林義孝君) それは二十三年に教育委員会法を御審議になりましたかたが多勢おられると思いますので、そのかたに一つどうぞ……。
○衆議院議員(若林義孝君) 私らはまあ県に置いておいたほうがいいと考えております。
○衆議院議員(若林義孝君) 速記でもとめて頂いたら言いますがね。
○衆議院議員(若林義孝君) さように心得えております。
○衆議院議員(若林義孝君) そうです。
川村 松助君 木村 守江君 黒川 武雄君 石黒 忠篤君 高橋 道男君 堀越 儀郎君 山本 勇造君 荒木正三郎君 矢嶋 三義君 岩間 正男君 衆議院議員 若林 義孝
○衆議院議員(若林義孝君) 去年度の実績を基準としての言葉でありまして、若し御質問の御意思の中で将来ベース・アップその他がありまして十分の一が或いは百五十億になつた場合、三分の一と言えば五十億になるか、若しそういう意味がございましたならばそこまでの折衝はできておりません。現在のいわゆる百億を中心として考えた場合の三分の一を下らんという内容を持つております。
○衆議院議員(若林義孝君) これは児童一人当りを標準にしておりますから、児童数に応じて按分を、配分をせられるというのが精神でございます。
昭和二十七年七月四日(金曜日) 午前十一時四十六分開議 出席委員 委員長 竹尾 弌君 理事 岡延右エ門君 理事 甲木 保君 理事 若林 義孝君 理事 小林 信一君 柏原 義則君 鹿野 彦吉君 小西 英雄君 坂田 道太君 高木 章君 圓谷 光衞君 長野 長廣君 平島 良一君 水谷 昇君
梅原 眞隆君 理事 白波瀬米吉君 高田なほ子君 木内キヤウ君 委員 川村 松助君 黒川 武雄君 石黒 忠篤君 高橋 道男君 堀越 儀郎君 山本 勇造君 衆議院議員 若林 義孝
三浦寅之助君 三宅 則義君 水田三喜男君 水谷 昇君 滿尾 君亮君 南 好雄君 宮幡 靖君 武藤 嘉一君 村上 勇君 守島 伍郎君 森幸 太郎君 八木 一郎君 柳澤 義男君 山口 好一君 山口六郎太君 山崎 岩男君 山崎 猛君 山村新治郎君 山本 猛夫君 吉田吉太郎君 吉武 惠市君 龍野喜一郎君 若林 義孝
昭和二十七年七月三日(木曜日) 午前十一時五十一分開議 出席委員 委員長 竹尾 弌君 理事 岡延右エ門君 理事 甲木 保君 理事 若林 義孝君 理事 小林 信一君 柏原 義則君 鹿野 彦吉君 坂田 道太君 首藤 新八君 高木 章君 圓谷 光衞君 東井三代次君 長野 長廣君 中山 マサ
若林義孝君。